私事なのですが、昨年に起きた、波動整体的、妻との別れについて書かせていただきます。
妻の癌が再発で見つかったのが、一昨年の12月の事です。新橋にある某大学病院で、婦人科ではけっこう有名な先生だったので、この先生に治せないのならしょうがないという気持ちで、治療に望んでいました。(H13年に卵巣癌の初期で手術して、経過は良好でした。)
一昨年の12月に腫瘍マーカーが通常の3倍程まで上がってしまったので、どこかに再発していることはわかって居ましたが、どこに癌が再発しているのかを確定するまで、かなり時間がかかってしまいました。
と言うのも婦人科系の癌は、腫瘍マーカーで高値になっても、CTやMRI、エコーといった画像上に出ない事が殆どで、婦人科では有名な超多忙な医師が主治医ということも足を引っ張って、12月から下血を主に訴えていたにもかかわらず、大腸の検査をしたのが3月になってからでした。
普通、素人目から考えても腫瘍マーカーで癌の疑いがかかって、下血がある時点で大腸系の癌を疑っていいはずなのに、大腸の検査は全くせず、婦人科専門医のこだわりなのか、肺転移や腹腔内の転移の可能性しか考えていなかったようでした。(本当に残念です。)
3月に直腸に癌がある事がようやく発見されて、手術が4月13日に決まりました。この時点で、妻と私は子供の事やこれからの闘病生活の事を本当に悩み、日々話し合いました。しかしそんな中で、一つの光が差し込みました。
3月中旬に、手術について外科の先生から説明があり、この癌は他への転移もないし簡単に取れるから、そんなに心配する事ないですよ。との励ましの説明でした。妻と私は本当に喜びました。ここ数ヶ月の間でこんなに喜んだことがないくらいに喜び合い、そして妻が癌である事も忘れるくらいはしゃいでしまいました。(癌が完治した訳でもなく、担当医からの保証のない安心でしたが、妻と2人で一つの光を喜び合うことが、その当時の自分たちのせめてもの慰めであった事だけが事実です。)
4月13日手術当日、朝から不安感でいっぱいでした。しかし、自分たちの結果よき運命を信じて、全てをプラスに考えました。しかし、けなげなこの精一杯の努力も、手術が終わって担当医の説明を受けた直後より、こっぱみじんでした。
医師より、直腸の癌の部分は簡単に切除できました。しかし、肝臓に4ケ、転移しています。残念ながら、今回の手術では切除できませんでした。と言われました。大腸癌からの肝臓転移はかなり厳しい事はわかっていましたので、医師に今の医学では治せる可能性はあるのか質問した所、外科的に大腸癌の肝臓数カ所転移はお手上げなのが事実です。癌の種類にもよりますが、もって6ヶ月ですね。ただし、婦人科系の癌の転移である場合は外科とは違って、治療技術がすごく進歩しているので、婦人科系の癌の種類である事を、今は願いましょうと言われました。
はっきり言って絶望感しか頭の中にありませんでした。親戚の人やいろんな知人に電話して、頭を整理しようと思いました。勇気ももらおうと思いました。でも、電話するたびに、現実感の認識が強くなり、現実逃避も出来ず、悲壮感でいっぱいになり、立って居るのもやっとでした。
でも、そんな中でも、身体的にも精神的にも一番辛い思いをしている妻を勇気づけなくてはいけない現実がありました。そして、勇気を出して、妻の居る病室に向かいました。
長い廊下を歩きながら、妻になんて声をかけよう、妻に自分の気持ちの動揺が伝わらないように、どう演じよう?ずっと、ずっと考えていました。本当に今までの人生の中で一番長い廊下だったと思います。
病室で妻に合い、良くがんばったね。と言えました。妻から手術の結果どうだった?と聞かれて、大丈夫だったよ。と言えました。妻が、そう良かった。早く良くなってまたあなたの為にも、子供達の為にもがんばらなくちゃ。と言われた時には、涙を必死でおさえるのがやっとでした。下を向き、うなずくのが精一杯でした。
その後は妻と何を話したかも憶えていません。病院から家までどうやって帰って来たのかも憶えていません。
家に帰って子供達と会って涙が止まることなく出ました。子供達には悲しみを見せまいと必死でこらえようとしましたがダメでした。本当に辛かったです。(寝室で声をころして泣き続けてしまいました。)
そして、子供の頃から泣いた事のなかった自分が、思いっきり泣いた事で、今後、何があっても絶対に涙しない。もう絶対に弱音をはかない。等、自分に対して絶対に破ってはいけない決まり事を作りました。
3人の子供達の為に自分ががんばらなくちゃいけないし、今まで自分の為に苦労をしてくれた妻に対しても、今これからがんばらなくて、いつがんばるという気持ちで、このどん底の困難を乗り切って行こうと、必死で気持ちを切り替えました。
それからは、どんなに気持ちが苦しくても全ての現実をプラスに受け止めようと、努力する毎日が続きました。妻の病気が良くなると親戚に勧められ宗教団体にも通いました。癌に効くと言われる、アガリスク、メシマコブ、フコイダンも一ヶ月20万円以上かけて、妻に飲んでもらいました。お払いも行きました。 でも全然良くなるどころか、悪化するばかりでした。そんな中、導きとも言える出来事がありました。11月3日の事でした。実家の母との電話中に10数年前に亡くなっている母方の祖母の事が突然、頭に浮かびました。そして、そうだ、祖母の写真を枕元に置いて寝たら夢枕で、何故ウチのがこんな辛い思いをしているのか?教えてくれるんじゃないか?とふと思い、実行してみました。
しかし、何も起きませんでした。次の日の朝になって、何も起きなかったなとがっかりしていると、ふと、気孔なら、手術当所から痛んでいる妻の腹痛が良くなるんでは?と思い、ネットを検索した所、本多先生の波動整体を一番で検索する事ができました。(自分のインナーチャイルドさんの返答では、祖母の導きです。) そして、それ以降はこれまでの日記に書かせていただいた通りです。
本多先生の教えの元で約2週間で偶然にもエネルギーの確認が出来る様になりました。そして、これは本多先生にも、一部の親戚にも話した事ですが、実は妻の亡くなる日は自分にはわかっていました。
実家が北海道にあるという都合上、母や姉から亡くなる日がわかるんだったら教えてほしいと言われたので、12月に入ってすぐに自分のインナーチャイルドさんに聞いた所、18日の夕方から容態が悪化して、19日の朝5時過ぎにとの返答でした。
本多先生はあまり先の事を聞いてはいけないと言われていましたので、信頼のおける数名の人にしかその事を話しませんでした。
妻は11月22日から入院中でしたが、12月14日、15日、16日と外泊の許可をもらって、最後の自宅での時間を一緒に過ごす事ができました。一緒に居られる時間は、妻に送られて来る、知人の心配の生霊ダメージを一生懸命に浄化し続け,妻に少しでも楽になってもらおうと自分が出来る精一杯の事を悔いの残らないように行いました。
不思議な事もありました。夜間になると、寝ている妻に5人の先祖様がついていて、悪いものから守っているとの事でした。私にも妻との別れが近い事が想像できました。(先祖様は時々メンバーを入れ替えますが、ずっと5人の方が妻が亡くなるまでついていました。) 妻が亡くなる前日(18日)の23時頃に、妻の生態エネルギーが私の所まで来て、別れを言おうとしていました。私は、今まで本当にありがとう。本当に辛かったけど良くがんばったね。と言いました。妻は私も感謝しています。子供達のことよろしくね。と悲しみながら話して戻りました。(自分も悲しみの念で、泣きそうでした。)
翌朝4時過ぎに病院から電話が来て車で病院に向いましたが、新宿の辺りでフロントガラスに何か風の塊のようなものがドンと当たり、霊界からの迎えとの反応でした。(ちょうど死亡時刻でした。)
病院に着きエレベーターに入った時にすでに成仏している妻が左肩に乗り、今までありがとう。と言いました。私は、お前、一人で成仏したの凄いじゃんと言って、妻を心から誉めました。
病室に入りましたがそこには、妻のエネルギーは居ませんでした。お前、今どこに居るの?と尋ねると、霊界と返答しましたので、子供達にお母さんの居場所を教えたいのと、お母さんが今、苦しんでいない事を伝えたい為に、妻に頼んで、子供達の頭に私の手を置き、妻が居る霊界のエネルギーを送ってもらいました。子供達はサワサワして気持ちいいよと、私と同じ感覚でした。(本当に本多先生には感謝します。)
本多先生に出会えた事で、自分の人生において本当に絶対に経験を出来ないような貴重な体験をさせていただきました。妻との悲しい別れが、決められた運命(さだめ)であった事を波動整体のお蔭で自分なりに納得出来ました。波動整体は本物です。誰でも基本さえ間違わなければ、誰でも出来る事なのです。自分の都合をなるべくなくし、インナーチャイルドさんとの交流を目標にがんばりましょう。
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